日本基督改革派教会創立二十周年記念宣言


宣 言

 われら日本基督改革派教会は、創立二十周年の記念すべき日にあたり、当初の信仰と熱情とをしのびつつ、神の栄光のため、われらに与えられている一切をささげて励むことを、新たに決意する。

回 顧

 思えば、昭和二十一年四月二十八日、荒廃焦土の祖国に、神のみ旨にかなう国家と教会の建設を願うわが日本基督改革派教会が創立されたことは、神の深きみ旨によるところである。まことに、キリスト教有神論こそ新日本建設の唯一の基礎であるとして、信条的にも教会政治的にも宗教改革の正統を継ぐ教会を樹立しようとする改革派教会が、日本人のみの手によって誕生したことは、わが国キリスト教史を飾る画期的事件であった。

 それゆえ、わが教会のになう使命の重大さを、われらは恐れつつ自覚するものであるが、わが教会の進むべき道は、創立当時の「日本基督改革派教会宣言」に明白に示された。

 われらは今ここに、二十年の歩みを顧みて、この重い使命を充分に果たし得なかった罪と弱さを覚えつつも、八教会二百人の会員をもって発足したわが教会が、今日、六十五教会四千人余の会員を有するまでに発展し、われらの信仰規準であるウェストミンスター信条の教会訳を完成し、神戸改革派神学校を擁して、着々と長老主義教会の形成をなしつつあることは、ひとえに、神の恵みによるものと、深く感謝するところである。

歴 史

 そもそも、神が人間に与えたもうた恵みの契約は、アダムにおいて罪に落ちた人類を、イエス・キリストによって救い、天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめる契約であって、それは、キリストの受肉と十字架と復活によって成就され、再臨において完成される。歴史は、この契約に基づく神のご支配のもとに、キリストの教会による福音の宣教をとおして、終末的栄光へと向かいつつある。

 われらは、聖書に示されたこの歴史観に立ち、キリストの教会のえだとして、福音宣教の使命を果たそうとするものである。

礼 拝

 教会の生命は、礼拝にある。キリストにおいて神ひとと共に住みたもう天国の型として存する教会は、主の日の礼拝において端的にその姿を現わす。わが教会の神中心的・礼拝的人生観は、主の日の礼拝の厳守において、最もあざやかに告白される。神は、礼拝におけるみ言葉の朗読と説教およびそれへの聴従において、霊的にその民のうちに臨在したもう。

神 学

 従って、神の言葉の体系的把握すなわち神学こそ、教会の生命的形成に不可欠である。

 聖書に啓示されているキリスト教真理を、歴史的改革派神学の光に導かれつつ体系的に学びとることは、われらが常に第一におく務めである。もとより神学は、単なる観念的思弁ではなく、生けるキリストが人間の現実に語りたもうみ言葉の学であって、非宗教化されつつある現代の世俗主義的社会に対して、神の主権に基づく明確な生活原理を提示することは、生ける神学の急務である。誤りなき聖書の規範により、創造主なる神の主権と、ひとり子イエス・キリストの十字架のあがないによる罪のゆるしと、聖霊による新生ときよめとに基礎をおく、キリスト教有神論を提示し実践することは、全教会が一体となって従事すべき霊の戦いである。

 われらは、教会のこの神学的戦いが、われら自身の言葉によるわが教会の信条として、神と世の前に告白されることを期待する。

伝 道

 キリスト教有神的世界観・人生観の主張と実践が、単なる文化運動にとどまることがないためには、信仰による罪のゆるしの福音をのべ伝える伝道が、教会によって力強く遂行されねばならない。われらは、聖霊ご自身が、み言葉をとおして直接罪人を救いたもうことを信ずるとともに、復活の主キリストが新約の教会に託された世界伝道の使命を、切に自覚するものである。教会の生命は、伝道の実践となって躍動する。

 キリスト教伝道の実践にあたっては、み言葉によるのみでなく、愛の行ないにもよるべきことが、主イエス・キリストのみ教えと模範である。わが教会の伝道も、神学と愛の執事的奉仕とを一元的に実践するものでなければならない。

 創立以来のわが教会の発展を謙虚に顧みるとき、海外改革派・長老派諸教会の援助と協力によるところが、きわめて大きい。われらはここに、一つ改革派信仰に立つ全世界の教会に感謝しつつ、わが教会自体が、献身的信仰をもって、全日本、否、地の果てにいたるまで伝道を推進することを誓う。

一 致

 われらは、キリストの教会の公同性を信ずるものとして、わが教会の使命遂行を、内外諸教会との交わりと協力とのうちに行なおうとするものである。これは、信仰の一致に基づく交わりであって、キリスト教真理の犠牲のもとに行われる妥協的教会合同運動とは、全く性質を異にする。われらは、霊的に一つである地上の教会が、教理と教会政治において、その統一性を可視的に表明することこそ、教会のかしらなるキリストのみ心であると信ずる。

祈 祷

 思うに、神の国の進展は、人間のわざにあらず、聖霊が人をとおしてなしたもうみわざであるゆえ、わが教会がその尊い使命をみ心にかなって行なうために根本的に必要なのは、熱心にして絶え間ない祈祷である。わが教会は、神学と伝道を祈祷の生活において統一することによってのみ、聖霊の力あふれる教会として立ちうる。わが教会の祈祷生活が、神の恵みのもとに祝福されることを、切望する。

信 徒

 わが教会のこの高く険しい目標めざして奉仕することは、神に召されたすべての信徒にひとしく与えられた光栄である。信徒は各々おかれた現実の生活のただ中で、神の言葉を学び、伝えなければならない。教会の神学と伝道とは、キリストにつらなる信徒各自が、この世にあって神の言葉に従う生活を営むときの、具体的な信仰の戦いに基礎をもつ。とくに、われらの奉仕の第一歩は、神の契約に基づく家庭の形成にある。聖別された家庭を基としてこそ、信徒は、神よりうけた各々の賜物を生かして、教会と世にあってキリストの証人として奉仕しうる。

 全能の神が、教会をとおして人類を救いたもうとき、ひとりびとりの信徒の中に聖霊による力を働かせて、ご自身の栄光を現わしたもうことは、使徒的教会の例より明らかである。われらもこの模範に従い、全会員が聖霊に満たされ、神がわれらの教会を祖国におこしたもうたみ旨に栄光を帰しまつることを願う。

現 代

 科学技術のいちじるしい発達により、世界観が空間的にも時間的にも一変しつつある今日、機械文明の中における人間性の回復と自由とは、全世界の渇望するところである。

 他方、わが国の物質的復興と繁栄は世界の奇跡とまで称されながら、ひとたび、わが同胞の精神面に目を向けるならば、その空白と混迷とはもはや放置することができない。

 在来の伝統的権威すでに力なく、真の権威が模索されつつあるこの時にあたり、歴史と自然における聖なる神の主権への服従において、真の救いの自由と喜びを与える改革派信仰をもって、わが国同胞のみならず全人類のよるべき原理と信ずることは、創立以来揺るぎないわれらの確信である。

 われらは、永遠に過ぎ行くことのない神の言葉の上に立って、あらゆる形の無神論を打破し、すべての領域において神の主権を告知し、主が再び来たりたもう時まで、おりを得るも得ざるも、うむこともなく、福音の宣教に邁進することを、ここに誓う。

 「これ、すべてのものは神よりいで、神によりて成り、神に帰すればなり。栄光とこしえに神にあれ。アァメン」。

昭和四十一年四月二十八日


1998.3.6.Typed by Hiroaki Nakamura

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