スコットランド信条について

(島啓二著「ノックスとスコットランド宗教改革」 第16章によりながら)


解説:泥谷逸郎牧師

1997年11月5日
四国中会教師研修会
新居浜のホテルにて

 スコットランド信条は1560年8月17日に「一字の変更もなしに議会を通過した」。勿論、それまでには訂正、削除などの作業はなされていたという。当時、スコットランド議会は一院制であり、上級聖職議員、貴族議員、下院議員の三つの身分によって構成されており、これらが一堂に会して議決するという方法をとっていた。この三身分をESTATESという。ノックスによると、最初、議会の法案作成委員会で、次いで、三身分全体の議員に信条の草案が提示されたが、全く反対はなかった(飯島 p.294)。「表決の日の17日には、もう一度、『信条』が各章ごとに朗読され、採決がなされた」が、3名の貴族が反対しただけであった。聖職議員は全く発言しなかった。(イングランド大使ランドルフの言葉は省略)

 信条は作成命令が出されてから、4日以内に提出された。これはそれまでに準備を全くしていなくて、突然4日以内に書き上げたというのではなく、それまでにかなりの準備がなされていたことは当然である。しかし作成に取りかかってからは大急ぎで作業を進めた。信条の作成は6名のジョンに委任されたとノックスは言うが、実際には一番最初の原案作成者はノックスであったであろう(ヘンダーソン "The Birning Bush"による) と思われる。ランドルフによると、原案の検討を委ねられたメイトランドとウィンラム(信条作成の一人)は24章の行政官に関する章は削除を求めたが、議会に提出亭主されたときには削除されず、原案は残された。この章は宗教改革者たちと政治権力者たちの妥協の産物であろうと飯島は推測している。

 信条は25章から成っている。この信条は、勿論スコットランド宗教改革者たち独自の特色を持っているが、カルヴァンの「キリスト教綱要」、「第1スイス信条」(1536)、「フランス信条」(1559)、ジュネーブのイングランド人教会信条、ヤン・ラスキなどの影響も見られると言われる。その特徴点を挙げるならば、「学問的方法や論理的正確さが欠如しており、繰り返し、分かり難さ、曖昧な表現」などが見られる。フランス信条やウェストミンスター信条と比較してみるとき、どうしても体系的にも論旨の点でもまとまっているとは言えない。カルヴァン主義の影響は明らかであるが、全体として穏健で、17世紀のカルヴァン主義から言えば、不徹底であるとの批判を免れない。 またこの時代の課題であり、巨大な敵であったローマ・カトリック主義を意識して、反論を試みている。

 まず序文に注目しよう。ここで特筆すべきことは、この信条にも誤りがあるかもしれないという立場を取っている点である。これはローマ教会とは特別に区別されなければならない特徴である。なぜなら、当時のローマ教会は教会の教えには誤りはない、という立場であったからである。スコットランド信条は言う。もしも、この信条の中に神の御言葉に反する個所や文章があることに気づいたなら、それを文字に書いて知らせて欲しいと言っている。指摘される誤りが聖書から証明されるならば、聖書から満足すべき解答をするか、あるいは訂正することにやぶさかではない、とさえ断言している。これは宗教改革者たちの共通した、また基本的な認識であった。信条は決して聖書を超えるものではない。聖書こそが最高の権威であるから、聖書に反することが告白されているならば、聖書によって訂正されなければならない、と言う。この信条は1560年の時点では全議会によって批准されたが、カトリック信者の女王メアリはこの信条を承認しなかったので、1567年にあらためて議会によって批准された。上に述べたような欠陥を含む信条であったので、これよりも更に優れた信条が作られるときには、それに場所を譲り渡す運命にあった。ウェストミンスター信条がスコットランドの特命委員たちのリードのもとに作成され、議会と教会総会議で承認されると、スコットランド信条は次第にウェストミンスター信条に席を譲り、スコットランドの教会の公的な信仰告白としての地位は失われていった。上記のような弱点を持っているとは言え、そこに述べられている教理は聖書からの教えであるので、今日までしばしば引用されて用いられ、その生命と役割を失ってはいない。
スコットランド信条の本文は「神について」から始まる。フランス信条、キリスト教綱要と出だしは同じである。神の本質については、唯一性と属性と三位一体について簡単に述べ、み業については創造と摂理を簡潔に告白している。そしてすべてものは「神の栄光をあらわす目的に添って」摂理されていると述べている。これはカルヴァン主義の顕著な証しである。

 第2章は、フランス信条にある啓示論、聖書論を期待したいが、それらは見られず、啓示論は第4章まで、聖書論は第19章まで待たなければならない。この章では普遍的な創造論の言及は第1章で簡単に済ませ、ここでは人間の創造のみに焦点が当てられる。

 第3章では、原罪が扱われる。原罪という罪過によって、人の中にあった神の像は全く損なわれ、自然の関係によって生まれる子孫は、罪の奴隷になってしまったことが述べられる。聖霊の力によって再生の命を受けない者たちは永遠の死と滅びに至るが、再生を受けた神の選びの民は聖霊の力によって御言葉によって啓示された神の約束を信じる信仰が与えられ、主イエスにある数々の恵みにあずかり、主を理解するのであると告白する。ここで「御言葉に啓示されている神の約束を信じる信仰」による救いが言及されていることに注目したい。これは宗教改革者たちに共通していた認識である。

 第4章は、約束の啓示とその啓示の発展性が扱われる。

 第5章では、第4章と特別、明白な論理的継承は乏しいままで教会論の中の「存続、成長、保持」が告白されている。アダム以後の旧約の時代と主イエスが来られて後の新約時代の教会が連続した存在であることを前提にしているが、この章では主として旧約時代の教会について述べている。

 第6章は、「キリスト・イエスの受肉について」告白されている。受肉のキリストは二性一位格のお方であることを告白した後、古代教会史の中に現れた異端を断罪する。

 第7章は「何故、仲保者は真の神と真の人でなければならなかったのか」という表題が付けられているので、ハイデルベルク信仰問答書のようにその理由の説明がなされていることを期待したいところだが、この章は主イエスの両性の一致は「神の永遠不変のみ旨から出ている」という説明で終わらせている。問いに対する答えとしては不十分であるが、この信条の作者たちは第8章で詳しく説明しようとしたのであろう。

 第8章は「選び」である。私たちの選びは「御子キリスト・イエスにある選び」であることが明白に述べられている。そこで「メシアは真の神であり、真の人でなければなりませんでした。なぜなら、メシアは私たちの罪過の罰を受け、御自身を私たちに代わって父の裁きの前に差し出し、私たちの罪過と不服従のために苦しみ、死を通して死の作者であるものに打ち勝つことができなければならなかったからです。しかし、神性だけでは死を苦しむことは出来ず、人性では死に打ち勝つことが出来ないので、メシアは一つの位格に両性を共に結合しておられたのです」

 第9章では、キリストの代償的死と苦しみ、そして埋葬が告白され、苦難と悲惨の直中にあっても主イエスは「御父の愛する独り子」であられたことを告白している。

 第10章は、死は命の創造者を永遠に死に留めて置くことはできず、死の支配者であるサタンを滅ぼして復活された。そして主イエスの民に命をもたらしてくださったと告白する。この復活には天使たち、使徒たちをはじめ、多くの証人がいると証しされている。

 第11章では、主イエスの昇天と神の右の座に着かれ、執り成しをしておられること、そして終わりの日に最後の審判者として再びこの世に来られ、信じる者は永遠の祝福へ、しかしそうでない者は永遠の裁きに遭うことが告白されている。

 第12章は「聖霊への信仰」告白である。聖霊論がここで扱われる。聖霊は父と御子と同等の神であられることが告白され、聖霊の恵みのみ業が父のみ業と御子のみ業と区別されて告白されている。
 神論から始まって、主イエスの受肉、苦難、復活、昇天、神の右の座への着座、最後の審判、聖霊への信仰、公同教会、体の甦り、永遠の命という筋書きは使徒信条の構造によっていることが明らかである。なお、教会論と終末論の一部 (魂の不死)はもっと詳しく、のちに第16章と第17章で告白されるけれども。こういうわけで、第12章までが一応この信条の前半部分ということができよう。一応というのは、前半部分を教理の部とすれば、後半は実践の部とすることができるが、後半部分になお教理の部の一部が扱われ、明瞭に二区分することができないからである。

 第13章は、従って実践としての善行論であり、「善行の原因」が告白される。善行の原因を人間の自由意志にあることを拒否し、ただ主イエスの御霊にあることが強調されている。

 第14章は、「神の御前に善とみなされる行いは何か」と問い、二枚の石の板に記された十戒を行うことにあると答える。

 第15章では、「律法の完全と人間の不完全」が告白される。「神の律法は、最も正しく、最も公平で、最も聖く、最も完全で」あるが、人間は全く不完全であるから律法の要求を満たすことはできない。それゆえ、イエス・キリストをしっかり把握して離れず、彼の義と贖いの内に留まらなければならないと言う。この章で、信仰義認の教理が表明されているが、信仰によって義とされるという表現は最後の第25章まで待たなければならない。そこに「赦しはただキリストの血にある信仰によるのみです。なぜなら罪は私たちの死ぬべき体の中に残り、留まり続けますが、私たちに転嫁されず、かえって赦され、キリストの義で覆われるのです」と告白されている。

 第16章、第17章、第18章は、特に厳しいカトリック教会批判がなされている3章である。まず、第16章は、「教会について」告白され、教会は神が選ばれた人々の集団であり、主イエス・キリストのみを頭とする公同、普遍の群れであること、この教会の会員に信者の子供も含まれること、そしてこの教会は神のみに知られているが、人間には見えない教会であることが告白されている。

 第17章は、「魂の不死について」告白されている章である。まずこの世を去った選びの民は、労苦を解かれて主のみ許に安息を得ていると告白される。信者の魂も不信者の魂も眠っているのではなく、消滅したのでもないと告白される。ここに人間の魂の眠りの思想(サイコパニキア)の誤謬と魂の消滅思想の誤りを指摘している。この章にこの世の教会を「戦闘の教会」という表現がなされている。

 第18章は、「真の教会が偽りの教会から区別されるべきしるしと教理の裁判人は誰かということについて」扱っている。この章は、カトリック教会を「害毒を流す会堂」、「汚れた会堂」、「恐るべき娼婦」、「偽りの教会」などと呼んで激しく攻撃する。そして真の教会のしるしとして第1に神の御言葉の説教をあげ、第2に主イエス・キリストの聖礼典の正しい執行をあげ、第3に正しい戒規の執行をあげる。そしてこの御言葉には、「人が救われるために信じなければならないすべてのことが、十分に言い尽くされている」と堅く信じるという告白がなされている。この三点の主張は第25章でも繰り返されている。カトリック教会に対し、真の教会はこのようなものであることを余程、強調しておきたかったのであろう。
 これら真の教会の三つのしるしの主張は、カルヴァン主義教会の共通の認識であった。このことによっても、この信条が改革派系の宗教改革の路線上にあることは明白である。そして聖書解釈の真の解釈者は、「個人や公人、あるいは、ある教会によってなされるのではなく、神の聖霊による」ことが力説されている。こうして第18章は、第19章の、「聖書の権威について」の告白に繋がっていくのである。

 第19章は、「聖書の権威について」簡潔に告白し、聖書の権威は人間あるいは天使あるいは教会から出るのではなく、ただ「神から出る」と強調する。

 第20章では、「総会議、その権威、召集の理由」について告白されている。総会議は「神の明白な御言葉に従って決定し命令する限り」は尊ぶべきであると言う。会議の権威は鍵にあるのではなく「神のかかれたお言葉の権威」によっているのである。「総会議が開催される理由は、神が作っておられない律法を勝手に作って、恒久の律法にするためではなく、私たちの信仰のために新しい信仰箇条を作るためでもなく、神の御言葉に権威を与えるためでもない。」 その第一の理由は、異端を論駁し、後の代の人々に対して信仰の公の告白をすることにある。第二の理由は、教会内に健全な政治が行われ、秩序が保たれるためであると、この信条は教えている。第21章から第23章は聖礼典論が取り上げられている。これらの章はカトリック教会の礼典を激しく攻撃している。

 第21章では、二つの聖礼典、すなわち洗礼と聖餐があるのみであると告白する。そしてカトリック教会の化体説を退けると同じに、ツヴィングリの聖礼典を「裸でむき出しのしるし」に過ぎないとする説も断罪している。化体説は退けるが、聖礼典が正しく執行されるときには、聖霊による神秘的なみ業によってキリストに結び合わされ、キリストの体と血にあずかることによって主は私たちの魂の栄養となり、糧となってくださると告白されている。洗礼の礼典については、「洗礼によって私たちはキリストの義にあずからせていただくために主に接ぎ木され、それによって私たちの罪は覆われ、取り除かれた」と告白する。二つの聖礼典のことに一応は言及されているが、主として聖餐論が扱われ、洗礼についてはわずかしか触れられていない。これはカトリック教会の洗礼論よりは、聖餐論に対してより大きな反論を必要としたからであろう。

 第22章は、「聖礼典の正しい執行について」告白されている。聖礼典は合法的に立てられた教師によって執行されなければならないと主張する。カトリック教会の教師はキリストの真の教師ではないと断言される。また聖霊が婦人に説教することさえ許しておられないのに、カトリック教会は婦人に洗礼を授けることを許している矛盾と突いている。さらにカトリック教会を赦す事が出来ないのは、彼等は主イエスが初めに礼典を執行なさったときに、主がなさらなかったことに新しいことを勝手に加えて礼典を汚していると非難している。勝手に付加された事柄が幾つか指摘されている。そしてミサ否定がなされる。

 第23章では「聖礼典は誰に施すべきか」について告白されている。洗礼は分別年齢に達した成人と信者の子たちにも施されるべきであると主張して、幼児洗礼を否定するアナバプテストの誤謬を断罪する。但し、主の晩餐は自己吟味できる年齢以上の者でなければならない。従って幼児陪餐は不信者の陪餐と同じように否定される。牧師に、聖礼典にあずかりたい者の知識と生活態度を審査させるとしている点は注目に値する。長老主義政治では、この審査権能は長老会に属するのである。この審査は、勿論のこと第一コリント11章28節でパウロが言っている「自分をよく確かめたうえで」飲み食いすべきであると言う勧めからきていることは明らかである。

 第24章は、「行政官について」の告白である。宗教改革期の多くの信条に見られるとおり、この信条でも市民的政治について、為政者について告白がなされている。宗教改革期は、宗教と政治が明瞭に区別されていなかった時代であったからこそ、この世の政治とそれを司る人々について、教会のために御言葉から明瞭にしておく必要があった。
この信条によると、皇帝、国王、領主、諸侯、また諸都市の行政官の権威は、「神御自身の栄光が現れるため、また人類の益と福祉のために、神の聖なる御定めによって定められたもの」である。すなわち、彼等の権威は神に由来しているというのである。従って、彼等が委ねられた限度内でその権能を行使する限り、服従すべきであること、もしこれに反抗するならば、それは神に反抗することであると言明する。いわば行政官は神の代理人なのである。彼等の義務は宗教の擁護と純化である。こうしてこの章は、信仰者は上に立つ権威に服従すべきことと、この世の行政官の宗教保護の義務を強調している。
 この信条は抵抗論に言及しているであろうか。はっきりとした文章としては見当たらないが、行政官が「その職務の限界を超えない限り」という条件の言葉の裏には、行政官が自らの権能の限度をわきまえないでそれを超えるとき、抵抗もあり得ることを示唆していると思われる。ノックスのメアリ女王との激しい対立と激烈な宗教改革運動は、上記の意味での抵抗権を行使した実例であろう。

 第25章は、終わりの日に不信仰者と偽信仰者が受ける報いと誠実で真の信仰者がこの世と来世において受ける恵みの賜物が告白される。最後の審判の日には不信仰者も肉の復活が与えられ、その体をもって身も魂も、未来永劫、永遠に消えない火の中で苦しめられる。しかし、真の信仰者はキリストの復活体に似せられ、永遠の命をもってキリストと共に永遠に治める栄光と誉れと不死にあずかると告白して、三位一体の神に栄光あれ、アーメンという賛美をもってこの章を終わる。

 最後に短い祈りが付け加えらて信仰告白は終わる。


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