『使徒言行録』 の学び東京恩寵教会牧師 榊原康夫 第1講 「使徒言行録」概説 わたしは今、ルカ福音書の連続講解説教をしています。もう2、3年やっていると思いますが、来月から15章に入ります。これを始める時に、ルカをやり、その次に使徒言行録に進み、というふうにルカの二つの著作に取り組んで、それで地上からおさらばしたいと、ただし、70歳で定年ですからルカ福音書でさえ最後まで行くかどうか自信がもてない、というお断りをして始めたものです。それで、その時に、わたしたちは――前にもルカ福音書は説教していますけれども、それは福音書の中のルカをやったという感じなんです。今度はそうじゃなくて――ルカ福音書と使徒言行録と2巻を書いているルカの書物、これを読みたいという、そういう興味なんです。そんなもんですから、たぶん実際に説教の講壇で使徒言行録に入って行くことはかなわないだろうと、腹ではそう思っているんですけれども、やっぱりルカ福音書の1章や2章を講解しながらいつでも使徒言行録、第2巻目も全部視野に入れながらルカ福音書を読んで行く、そういうやり方をしたいと思いましたので、自分としては密かに、人前では語らないとしても自分なりに、使徒言行録はこういう本だということがよくつかめていないとこの仕事はやれないなというところで、折にふれて使徒言行録を読んできたわけです。 考えてみますと、学者たち、専門家たちがいろんな聖書の注解書、コメンタリーというものを書いているのですが、面白いことに、ルカ福音書のコメンタリーは、この先生やあの先生が有名なものを書いている、というようなものがあります。使徒言行録をその先生が書いているかというと、ほとんど書いていないんです。使徒言行録は使徒言行録でまた別の先生が書いて、で、使徒言行録の注解書ならこの先生やあの先生が権威であるというふうになっているんです。これはおかしな話ですね。一人の人がはじめから2巻と言って取り組んで作った作品なんですから、1巻を注解した先生が第2巻を書いて、それですごい権威であると、こうなるはずですね。そういう思いもありまして、わたしとしては、ルカ福音書を説教し始めるときから使徒言行録について同じような目配りをしようと、そう思っていたわけです。 さて、前置きはそれくらいでありまして、使徒言行録とその前のルカ福音書は序文がついているということで、非常に珍しい作品であります。 ルカ福音書の場合は1章の1節から4節までに、本の献呈の言葉のような格好で序文がありまして、そして今度第2巻の使徒言行録に移りますと、1章の1節から3節あたりまで――こちらの場合は序文がきっぱりと区切れないで、するっと本論の方に流れ込むという格好ですけれども――でも短い序文があるわけです。 当時のギリシャ語やラテン語の大きな著作、1巻、2巻、3巻と分かれていますような著作を見ても、その序文の書き方というのは、ちょうどこの通りなんです。ルカ福音書の場合、きちっとした序文があって、2巻に入りますときに、前のをちょっと一口でまとめながら、また序文めいた言葉をもって始める。そういう古典の実例と照らし合わせてみても、明らかに、ルカによる福音書と使徒言行録とは一人の人が2巻に書き分けた、一続きの作品である、ということは明らかです。 こういうものは、まず旧約にはほとんどありません。中間時代になりまして、「旧約聖書続編」をご覧になりますと、いくつかちゃんとした序文がついた作品が出て参ります。そして新約聖書になりますと、このルカなどの他に、たとえばヨハネ福音書の1章には長い美しい詩のような形の序文があります。あるいは黙示録などを見ても、序文といえるところがちゃんとあります。 そういう、当時の一般のギリシャ・ラテンの古典文学に非常に近い形のものが新約聖書の中にこのように入ってきているわけです。そこで、まず第1の講義の方では、第1巻の書き出しに出ております序文を手がかりにして、1巻、2巻をひっくるめて、どういう性質の本か、ということを確認しておきたいと思います。 ルカ福音書1章1節から4節までを一度読んでおきます。これは原文では区切りのない一綴りの長い文章です。 「わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります。」
まず、この著作を書く相手ですが、3節に「敬愛するテオフィロさま」とあります。使徒言行録の方にも「テオフィロさま」という名前がちゃんと出てきます。 この「テオフィロ」という言葉は「神に愛された者」とか、あるいは「神を愛する人」という、そういう意味でありますので、固有名詞じゃなくて、神を愛する人という信者を表す表現で、特定の誰かさんにあてているんじゃない、神を愛する信者の人たちみんなに、というような感じだと、こう考える人たちがありました。 それに対して、現在ではほとんどの人が、これは個人の名前だろうと、そう受け取っております。 2世紀頃の書物に、偽クレメンスの文書というので『再会』、リコグニションズと呼ばれる、かなり分厚い本があるんです。この2世紀の偽クレメンスの『再会』という文書は、使徒ペトロの各地での働きをずっと物語って参りまして、10巻の71節まで進みますと、こういうふうに書いてあるんです。「聖霊がその日、非常に偉大な力を示されたので、皆は、いと小さき者から最も大いなる者まで、異口同音に主を言い表した。そして、多くの言葉であなたを煩わせないようにするけれども、7日のうちに1万人以上の人が神を信じ、洗礼を受けて、聖別された。そこでその街の、(「その街」と申しますのはアンティオキアでありますけれども、このアンティオキアの街の)どの権力者よりも崇められていたテオフィロが、全く熱烈な願いをもって自分の家の大宮殿を教会の名の下に聖別したので、そこに、全ての人々によって使徒ペトロのためのチャペルが据えられた。大群衆が日毎に御言葉を聞くために集まり、癒しの効き目で保証された健全な教理を信じるに至った」と、こういうくだりがあります。つまりこの伝説では、テオフィロというのはアンティオキアの町の誰よりも権力のある人物で、大宮殿という、そういう豪邸に住んでいた信者として描かれております。 さて、この序文で言っておりますことは、現代の言い方でいうと、本を献呈する、テオフィロさまに献呈をする、という意味だと理解したところから、新共同訳は「献呈の言葉」という小見出しを付けているんですね。けれども、古代のルカのような時代のことを考えますと、これは果たして「献呈」なのか。それとも、今で言うとむしろ、“出版します、公刊します、パブリッシュします”という意味なのか。ちょっと今日とは様子が違うんですね。昔の、何でも手書きで写さないと2冊目が出来なかった時代に、たとえばルカという人が自分の作品を書いてテオフィロに渡したとします。そしたら、そこで終わりですね。これでは、絶対2冊目、3冊目は生まれないんです。テオフィロさんが読んで、愛蔵していれば、それでおしまい。 事実はそうじゃなくて、「テオフィロさま」といいながら、どんどん書き写されたから今に伝わっているんです。この場合、ルカからテオフィロに最初の自分の手書き本を渡しますときに、これをパブリッシュしてもいい、これは私信じゃない、あなた一人の書棚に死蔵するんじゃなくて、どんどん書き写して公開してもいい(パブリッシュ)、そういう意味で渡したのでなければ、こういうふうにたくさん手書きが生まれて後世まで伝わってくるということはなかった。この場合、「献呈」ではなくて、著者は書き上げたものを捨てたわけです、世の中に捨てたわけです。誰でも使え、誰でも読め、誰でも書き写せ――これをパブリッシュ、公刊する、と申します。ですから、ちょっと「献呈の言葉」という小見出しは、わたしは不十分な見出しだなと思います。
さて、この人に、とにかくもう渡してしまう、もう自分の手元から捨ててしまう、著作権は捨ててしまう、こういうふうにして渡しましたのは、「わたし」という人物。「わたしもすべての事を初めから」と1章3節で言っておりますように、「わたしも」という一人の個人です。 この一人の個人が2巻もの大作を書くということは非常に珍しいことで、たとえばヨハネ福音書の場合は、「わたしたち」が書いた、それも“わたしたちが、あなたがたが信じられるように書くんだ”と、こう言っています。ある意味では信仰的な共同体が総掛かりで生み出してきた、それが新約聖書の多くの書物、特に福音書でありますが、ルカ福音書の場合はそうではなくて、「わたしも」という個人なんです。 この人はどうやら直接イエス様から教えを受けた第一世代の弟子ではなくて、第二世代といいますか、自分も誰かからイエス様について語り聞かされた、二代目の間接的な信者のようであります。それはこのルカの1章1節から4節全体を読めばすぐお分かりになるんですね。「わたしたちの間で実現した事柄について」、つまりイエス様がなさったことについて「最初から目撃して御言葉のために働いた人々」、これがペトロたち十二弟子たちです。この世代があって、この人たちが「わたしたちに伝えてくれたとおりに、物語を書」こうとした、こういう世代。そういう意味で第二世代に属する弟子であります。 さて、それではその世代の中の誰なのだろうというのが分かるのが、有名な使徒言行録に出てくる「わたしたち部分」と呼ばれる所なんです。使徒言行録のあちこちにとびとびではありますが、最初は16章10節から、“マケドニアに渡ってきて欲しい”という夢をパウロが見て、それでこれはわたしたちは招かれているんだというので、10節、パウロがこの幻を見たとき、「わたしたちはすぐにマケドニアに向けて出発することにした」。ここのところから急に「わたしたち」という言い方が出てくるのです。そしてしばらく行くと「パウロは」「パウロは」という言い方に変わり、でもまたパウロがあちこち伝道して行く中で途中から、また「わたしたちは」「わたしたちは」というふうに言い方が変わるんです。つまり、この段階で著者はパウロと一緒に同行した人だ、ということになります。 そこで、「わたしたち」というところで描かれているのはパウロのどういう段階の伝道旅行だろう、どこに行ったときだろうということを調べ出しまして、今度はそのころのパウロの手紙の方を見ると、誰がパウロと共にいるだろうか――“誰それからよろしく”なんて言うとその人は側にいるわけですから――そういうことを調べ上げる。そして消去法で消して行くと、これは昔から大勢の人がやってきたことなんですが、ここで繰り返す必要が無く、ただ一人の人が残るんです。それがコロサイの信徒への手紙4章14節に出てくる「愛する医者ルカ」。この人のみ。そうしたところから、第三福音書と使徒言行録との二巻の大作を書いた人物といえば医者ルカであるということが、おおかたの学者に受け入れられて今日まで来ております。 この人物は、エウセビオスの『教会史』とか、あるいはヒエロニムスという人が書きました『名士伝』――有名な人物について簡単に紹介しております書物でありますが――そちらでも、アンティオキアの人である、と言われております。アンティオキアの医者ルカである。
さて、では何を書くのか、その内容ですけれども、「わたしたちの間で実現した事柄について」というふうに今度の新共同訳は訳しました。非常に残念な翻訳です。 これは、「実現した」というよりも「成就した」と訳すべき言葉です。「実現する」というのは、たとえばわたしが明日はこうしたいなと思っていまして、その通り明日出来ましたら、わたしの計画は実現したと言えます。預言の「成就」とは違うんです。わたしならわたしが、明日こうなると、今日公表しておかなければいけないんですね。その今日公表された預言の通りに明日それが起こったとき、「成就した」というわけです。ですから、「実現」との違いははっきりしています。「実現した」というのは、胸の中に隠されていた思いがその通りになったというだけで、本人が語らなければ計画していたかどうかも分からないわけです。その通りにならなければ、黙っていれば何も人は気づかないわけです。しかし預言の場合は、言っちゃってあるわけですから、成就しなければ預言はうそだったということになるわけですね。ですからこれは大変違う翻訳なんです。 「わたしたちの間で成就された事柄」、そういう、にっちもさっちもいかない、もう旧約時代からちゃんと預言されていて、それがそうならなければ神様はうそつきだ、旧約聖書自体がもう信じられない、ということになってしまう、そういう中でちゃんと「成就された出来事」、これが福音書と使徒言行録で取り上げようとしている内容なんだということです。 ですから、この預言の成就というものを、福音書さらに使徒言行録は非常に綿密に、ずっと挙げていったわけです。この点では、福音書よりも使徒言行録の方が遙かに預言の成就ということを強調していく作品であります。これは後ほど第2回目の講演でもっと大きく取り上げられることになると思います。 それから2巻目の使徒言行録の方の書き出しの方で、「テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました」。こう訳されています。 この翻訳ですと、まるで「教え始めてから」「天に上げられた日まで」、これを第1巻で書きました、じゃ第2巻は何ですかというのが、また別に説明されないといけないような感じなんですけれども、ここはそういう文章じゃなくて、「イエスが行い、また教え始められたすべてのことについて、先の第一巻では天に上げられた日まで書きました」。こういう主旨の文章なんです。第1巻はイエスが「天に上げられた日まで」、それから第2巻はそれから後ですが、内容としてはどちらも「イエスが行い、また教えたもうたこと」なんです。「イエスが行い、また教えたもうたこと」を、第1巻では天に上げられるまでになさったこと、第2巻は天に上げられてから行い、また教え続けられること、こういう理解で分配してある。どちらも主「イエスが行い、また教えたもうこと」なんです。 その目で第2巻を読んで行かれますと、結構頻繁に、復活の主は天から語られる、あるいは幻に現れる、夢に現れる、いろんな形で直接使徒たちの伝道を指図して行かれますし、また聖霊を通しても、禁じられるとか遣わされるとか、いろんな事が進められて行っている様が描かれます。決して、第2巻になってから人間たちがやるというのではありません。第2巻になっても、イエス様が行い、また教え続けておられる、そういう内容の本であります。
その次、どういう叙述の仕方をするかという点で、「順序正しく書こう」と、こうルカとしては考えています。 ここで言う「順序正しく」というのは、これまた現代人が期待するような順序というものを押しつけてはいけません。聖書の言う「順序正しい」ということはどういうことなんだろう、ということから考えて行かないといけないわけで、その場合、幸いにも旧約聖書というたくさんの本があり、その中にも歴史的な事柄を書いたものがいっぱいありますので、旧約にあります歴史書と同じような性格の順序正しさであると、そう言うことが出来るんじゃないかと思います。 たとえば、福音書を読んで行かれましても、すぐ4章からイエス様の公生涯に入る記事の一番最初で、ナザレの安息日の記事が出てくるんですね。しかも、そのナザレの会堂でイエスは人々に“あなたがたはカファルナウムでいろいろなことをしたと聞いている不思議な業をここでもやれと言うにちがいない”、そうおっしゃるんですね。つまり、時間順からいうと、この前にカファルナウムでもうイエス様はいろいろな奇跡をなさり、教えも教えられたわけです。その後にナザレに来ているわけなんですが、それを、ルカとしてはお構いなく順序をひっくり返したんですね。そういう意味では、現代人が期待するような日記的な時間順に正しくというのではなくて、著者のあるねらいから見てこの方がいいと考える順序に正しく整える、そういうことであります。 まあこれは、どの福音書を見ても、マルコやマタイを読んできた目で見ると、だいたい福音書というのはそういうものだろうな、と覚悟はつくわけですが、今度第2巻、比較するものがないような使徒言行録に参りますと、ここには旧約歴史書に見られたのとはまるで違う、非常に正確な、ちょっと身の毛がよだつような細かいところまで正確な、そういう記事が出て来るんですね。 使徒言行録の16章に20節から何度か「高官たち、ストラテーゴイ」という言い方が出てきます。これをパウロが他の町に伝道したときの記事と読み比べて下さると分かりますが、フィリピの所だけ「たち」という複数形なんですね。確かに、この植民都市は「二人官」と訳すんでしょうか、そういう役人が執政官の階級で配置されていた植民都市なんです。「二人官」、二人を一対にして任命するという特別な町なんです。ところがそこに来たとき、ルカもきちっと「たち」という言い方をいたします。 テサロニケの時にも町の「当局者たち」という複数形が出て来るんですが、ところがこちらの方は「ポリタルケース」という全く別な表現の役人なんです。「当局者たち、ポリタルケース」。今日では紀元前2世紀から紀元後3世紀にかかります頃までの、19の碑文が出ております。そのうちの5つがこのテサロニケの町の碑文であります。この19のいろんな町の碑文の中で、マケドニア州――テサロニケはそれの都ですが――マケドニア州の町の碑文だけ、この「ポリタルケース」という役人の呼び名が出てくるわけです。ですから、ここでもルカはちゃんと、どの州に行けばどういう役人がいる、どの町に行けば一人じゃなくて二人であるという、そういう正確な知識を持ってパウロの伝道旅行を書いているということが分かります。こんなことは、19世紀ぐらいまでは分からなかったことで、ごくこの数十年から百年ぐらいの間に考古学的に分かってきた、びっくりするほど正確な当時の資料であります。 それからまた、この使徒言行録にたくさん出てきます説教というものを注意深く読んでみると、また、大変面白いんですね。ユダヤ人が聞き手であります説教では、旧約聖書を引いて、そして福音を説得するわけですね、ユダヤ人相手の時は。それから、もう既に信者になっているキリスト者に向かって演説、説教をいたしますときには、“主はこう言われた”、というイエス様のお言葉を引いて説得する。「受けるよりは与える方が幸いだと言われた主の御言葉」というわけですね。生のイエス様のお言葉、これを使います。ところが外国人に対しての時には、旧約聖書も引きませんし、イエスがこう言ったということも言わない。そのかわりに「皆さんのうちのある詩人たちも」こう言っている、「我々は神の中に生き、動いている」という、そういうギリシャの詩人の文章を引用して、それによって聴衆を説得している。これは見事な違いです。何を使って自分の言いたいことを相手に説得して行くかというその手法が、聴衆の違いによって一つ一つ実に見事に区別されておりまして、これがこんがらがっているところは一つもありません。 そのようなわけで、第2巻が福音書の方よりも遙かに歴史的に順序正しく注意深く書かれていると思うんですけれども、それでも、現代のわたしたちが期待するような歴史記録ではありません。このことははっきりと思い切っていただくほうがいいと思います。現代風の歴史記録とは言えない。 なぜかというと、あれだけたくさんわたしたちに伝わっているパウロの手紙について、この使徒言行録は一度もパウロが手紙を書いていたというようなことは言わないわけです。どこであれだけのものが書けたんでしょうね。 それから、使徒言行録を見ていくと、使徒パウロが悪霊を追い出すとか毒蛇のまむしにかまれても倒れないとか、奇跡があります。そして確かにパウロが使徒のしるしとしてこういう奇跡をやったということを、彼の手紙の中に、自分自身でもはっきり言っているわけです。ローマの信徒への手紙やコリントの信徒への手紙で“私は使徒たるの実を実際奇跡やしるしをもって示してきたんだ”と、こう言ってますから、確かに現在の私たちぼんくら牧師とは違って、1世紀の使徒たちは行く先々で力ある説教をし、力ある業、奇跡をもってそれを証明したんだと思います。ところが、現代の歴史書にそんな超自然的な奇跡が入ってくる歴史書なんてありませんよね。そんなのが入っていたら失格であります。 なんと言っても、この書物は宗教書である、と言わなければなりません。例として、使徒言行録12章の20節から、ヘロデ・アグリッパ1世が、“神の声だ、人間の声ではない”と周りの人たちからもてはやされて、「主の天使がヘロデを撃ち倒した」と、こういう言い方が出てきます。「たちまち、主の天使がヘロデを撃ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである」。この同じお話を、ヨセフスという人が『ユダヤ人古代誌』の中に長々と書いているんですけれども、それと読み比べますと大変違う。確かにここに描かれたとおり、ある時に、やってきた家来たちがおべんちゃらに、“これは神の声だ”と言って祭り上げた事件はあったんです。で、そう言われてヘロデは得意になってふと上を見上げたら、上の網の所にフクロウがとまっているのが見えたというんです。鳥のフクロウ。で、ハッとしたとたんに激しい腹痛に襲われまして、倒れまして、まあ、今でいうと救急車で運び込まれるわけですね。それで3,4日後に死んだのであります。ヨセフスは実はその話のずっと前に、フクロウを見ると不吉だよということを書いてあるんですね。ですから彼としてはむしろそっちの方と引っかけて、ちょうどその時、天罰ですね、やっぱりフクロウが現れたときに腹痛が起こったと、こう言いたいわけですが、使徒言行録はむしろこれは、“神の声だ”と言ったのに対する神の刑罰として「主の天使」が、とこう言っているわけです。こういう所などは、いかにもやっぱり信仰書、宗教書だな、と思わせる部分であります。
さて、もう一つ、では、こういうふうに宗教書としての順序を立てて書くにしても、資料に何を持っているかという問題で、それをルカは「わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので」というふうに、自信満々語っているんですね。 「すべての事を初めから詳しく調べていますので順序正しく書く」。こういうところも、さっきの「テオフィロさま」という献呈の辞と同じようなもので、誤解をするといけないんですけれども、これは、古代のものを書く人の、いつも書く手法なんです。これは何も、ルカだけが初めからすべての事を詳しく調べたというんじゃないんです。誰がものを書くときでも、みんな「わたしは初めからすべての事を詳しく調べてある」、そう言って書くのが、信用を取り付けるための著者の常套手段なんです。ですから、あまりここを真っ正直に受け取らない方がいいと思いますけれども、でも少なくともルカは、当時のギリシャの文学の世界でちゃんとした著作が作られるのと同じ程度には自分もちゃんと用意をして出版するんだ、という自覚は持っていることが分かります。 さて、では彼はどういうふうにしてこういう「すべての事を初めから詳しく調べる」情報を得たのだろうかというと、まず私としては第一に挙げておきたいことに、教会の公同性、カソリシティというものから、初代の教会においては驚くほど教会間の情報のコミュニケーションが行き渡っていました。一つの各個教会が、たとえば仙台教会が仙台教会として何かの情報を聞いたときに、これは仙台が聞いたというのでは済まさない、すぐ、カナンだ、東仙台だ、仙台栄光だと、そういう諸々の教会と共有すべきものだ、とこういう理解がありました。 ですから、黙示録のはじめにあるアジアの七つの教会に宛てた手紙でも、必ず、「聖霊が諸教会に言うことを聞くがよい」といちいち言いますね。スミルナ教会、エフェソの教会、ラオデキアの教会の一つ一つに言った別のことなのに、「聖霊が諸教会に言うことを聞きなさい」と言われているんです。七つ共が全部同じ警告を共有するんです。ですから、新約聖書を注意深く読んで行かれますと、もういろんな人たちの手紙の中に、筒抜けのようにいろんな別の地方の動きや別の人々のことが手に取るように分かっているなという有様がよく知られます。 よくまあ、こんなに離れた所のことがあんなに早く伝わっているもんだ。ほんとに、電話もFAXもない時代に、とにかく人がてくてく歩いて旅しないことには伝わらないという時で、そうだったんです。これはすごいネットワークです。 それからもう一つが、使徒言行録の先ほど見た「わたしたち部分」。あそこの所で著者がいうのを調べていくと分かりますが、訪ねた先々で弟子たちと会っています。こういう名前の弟子と会ったとか、こういう名前の弟子がパウロや私たちを出迎えてくれた。そういう使徒たち、先輩の弟子たちと会ったんです。最後にはエルサレムまで上って、主の兄弟ヤコブたちとも会ったんです。ですから、そういう非常に貴重な第一代の、最初の弟子たちから情報を集めることが出来ております。 最後に、第三の種類としましては文書があります。この文書の中に、マルコ福音書、それからマタイ福音書と共通した“イエス語録”――イエスのお言葉を書き留めたもの――、それから、使徒言行録のはじめの数章にあります“ペトロ資料”――使徒ペトロの目で見聞きしたキリスト教の最初期の記録――。“ペトロ資料”。それから使徒言行録の11章あたりからアンティオキアに教会が生まれますが、このアンティオキア教会を母港としてパウロの世界伝道が3回展開されるわけです。帰ってくると必ずアンティオキアに戻る。この“アンティオキア資料”というものがあったと思われます。 まあ少なくとも文書として4、5冊はルカは持っていたと思います。
さて、最後が一番大事なところで、この著作をする目的です。それは、テオフィロさま、あなたが「お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたい」からだと、こういう目的だと言うんです。 ここの、読んだだけで明白じゃないかと思われる文章について、実は現代、専門家の間で非常に議論が闘わされる二つの大きな主張が分かれることになっているのです。ここで「お受けになった教え」と訳されていますのが「カテーケオーされた、カテキズムされた」、つまり「教理問答教育された」という、そういう特殊な表現が使ってあるからなんです。そういう「カテキズム教育された」「諸々の言葉、ロゴスについて」それが「確実なものである」ということ――これは、今ではアスファルトという言葉がありますね、あれの語源になったギリシャ語なんですけれども――、「カテキズムされた諸々の言葉がアスファルトであるということが、よく分かるために」と、そう言っていると思って下さったら結構です。 さて問題は、この「カテーケオーする」というのが、教会では確かに教理教育、教理問答なんですけど、一般の社会では「情報を与える、情報を知らせる」という意味で使われました。 しかも「確実なもの」という言葉と、それから「それを知る」という言葉とを組み合わせますと、「裁判の調書を作る」そういう意味の表現になります。使徒言行録の実際裁判の段階になりましてこの表現が何度も出てきます。使徒言行録21章34節、「しかし、群衆はあれやこれやと叫び立てていた。千人隊長は、騒々しくて真相をつかむことができないので、パウロを兵営に連れて行くように命じた」。この「真相をつかむ」。そして22章30節まで行きまして、「翌日、千人隊長は、なぜパウロがユダヤ人から訴えられているのか、確かなことを知りたいと思い」鎖を外して議会を招集する、とこういうところに出てくる表現なんです。 そこへ持ってきて、宛名が「敬愛するテオフィロさま」、口語訳では「テオフィロ閣下」という宛先ですから、これを全部つなげて考えると、何か非常に政治的な力があるテオフィロというお役人に、ちょうど裁判調書のように、キリストの福音とキリスト教の動きというものが物騒なもんじゃない、法にかなった秩序を守る宗教なんだという、そういう調書を奉って、それでキリスト教の擁護をしたいという、そういう政治的な護教文書であると、こう考えられてきたわけです。ルカ福音書、特に使徒言行録は、そういうキリスト教を守るための政治的なアプローチ、弁明、護教のために作られたものである。 これは今なかなか盛んな学説なんですけれども、でも私自身は、何度も何度も使徒言行録を自分で読み直しまして、そうではない、やっぱりこれは信仰書である、むしろ神学書である。そして神学上のある非常に大事な問題を弁証しようとしている書物である、というのが私の結論であります。「カテーケオー」というのは文字通り「カテキズム教育を受けた」ということであり、しかも第一世代が「伝えたとおりに」書こうとしている。著者としては決して何か新しいことを企てているんじゃなくて、最初からの福音を、しかし違った状況や違った相手を前にしても、堂々と神学的にこれがオーソドキシーだということを言い切る、そういう神学文書として、この2巻を書き上げたんだと、そう思います。 |