『使徒言行録』の学び 第2講 「使徒言行録」の構造 日本語というのは言葉の単数、複数という区別が分かりませんので、とても不便なんですけれども、実は、このルカの書きました第2巻は『使徒たちの言行録』という、「使徒たちの」という複数を出さないと意味のない本なんです。『使徒行伝』の「行伝」を「言行録」に変えるかどうかなんて、こんな所は変えなくてもいいんです。前の『使徒行伝』でも一番具合の悪いのは、「使徒」というのは一人なんですか何人なんですか、というのがはっきり分からなかったことなんです。と申しますのは、2世紀になりまして、たくさんの行伝、パウロ行伝、ペトロ行伝、トマス行伝という、ある一人の使徒を主人公に書いた行伝というのがいっぱい生まれたわけです。異端の、そういう今では「新約外典」と言われておりますものの中に、ある特定の使徒を祭り上げて担ぎ上げる、そういう異端の文書が生まれたんです。で、そういうものに対抗して、いや、正統教会は「諸々の使徒たち、12使徒全体」の教えを継承しているのがオーソドックスな教会です――こういう意味から、わざわざ「使徒たち」がどういうような伝道をしたのかということを書かないと、意味がなかったわけです。それで、この日本語の『使徒言行録』というのはそれが出てこないものですから、とても不便なものであります。 使徒言行録を注意深く読んでいかれますと、いわゆる12弟子だけでなく、パウロと一緒に伝道に行ったバルナバ、あるいはシルワノ、あるいはテモテ、こういう人物たちをやはり、初代の教会は「使徒」と呼んでいるわけで、そういう目で使徒言行録を読んでいかれますと、なるほどたくさんの使徒たちがどういう所に教会を建てていったかということが、分かるように書かれています。
さて、それだけを前置きにしておきまして、「レジュメ」に書きました、「使徒言行録の構造」とまとめたのは、これは榊原製のレジュメでありまして、誰かの本にこう書いてあるとか、誰それ先生がこう言っています、というのを写してきたのではありません。そういう先生方のそれなりの分析は、それはもうたくさんあるわけです。わざと、私は今回そうではなくて、自分の目で使徒言行録を10回も20回も30回も読んで、この本自身はどういう理屈で作られているのか、どういう原理でこの順番をとっているのか、それを知りたくて、これは全く自分なりに辿ってみたものであります。 これが当たっているか、当たっていないかは分かりません。しかし、これをまとめた一つの非常に大きな軸になるものが、これまた日本語では単数、複数の区別がつかないので分かりにくいのですが、「エクレーシア、教会」という言葉の使い方だったんです。 「エクレーシア」という言葉は、この使徒言行録にいくつも出てきます。はじめにはエルサレムに「エクレーシア」が出来、それからあっちやこっちに弟子たちが生まれていって、各地に教会が生まれる。頭の中でぼーっと私にもそれくらいに思えていたんですけれども、それを注意深く調べてみますと、非常に面白いことが分かりました。 「レジュメ」のU「地中海岸沿いにアンティオキアまで」というところの4「アンティオキア教会」というところにわざわざアンダーラインが引いてあります。実は、ここまでたくさん「エクレーシア」という言葉が出るんですけど、全部単数形なんです。つまり教会は一つしかないんです。エルサレムに生まれた教会が一つ。ですから、このエルサレムの教会が、やれサマリアで信者が生まれた、やれあちらで洗礼が出たというと、派遣をしてそれを確認します。つまり、アンティオキア教会がエルサレムに次いで二つ目の教会、エクレーシアとなったんです。それまでは全部エルサレム教会の監督の下に、管理の下に信者が増えていったということです。その事を踏まえてこの「レジュメ」は作ってあります。 まず1章から7章まで。エルサレム・ユダヤ人教会の動きを描きまして、ここで、5章39節で、「神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない」、とガマリエルが忠告しているんですけど、人から出たものなのか神から出たものなのかと問われるならば、キリスト教は神から出たものである。このことを論証するために、1章から7章まで、エルサレムのユダヤ人の教会、エクレーシアのいろんな出来事を描いているわけです。
それから次の8章から12章まででは、地中海岸沿いにずっとアンティオキアまで福音が広がって行く。そしてここのところでは、キリスト教が異邦人にもrelevancyがあるというか意味のある宗教である、ということが論証されていきまして、そしてその中で、さっき注意を促しましたように、アンティオキアにちゃんと異邦人としての教会が出来、そしてそこから「クリスチャン」と呼ばれることも始まった。ある意味でキリスト教の第二の時代が動き出す。 こういう有様が描かれまして、それまでエルサレム教会が教会であったというのが、だんだんと、エルサレムにいたゼベダイの子ヤコブが殉教の死を遂げ、ペトロが捕まってやっと天使に助けられますが、それ以後どこへ行ったか分からない、というように、エルサレム教会の柱と見られた人たちがだんだん散っていって、教会というものの主導権が、エルサレムのエクレーシアから新しいアンティオキアのエクレーシアに移る。これが明らかにされます。 そうしますと、このアンティオキアの教会、エクレーシアが伝道者を送り出して海外宣教といいますか世界宣教に赴かせる。その事を通して異邦人の諸教会があちこちに建設される。それが「アンティオキア教会による世界宣教」、13から20章。それによって異邦人の街々にいろんな諸教会が生み出されていく。それは主にパウロの第1回伝道旅行、第2回伝道旅行、第3回伝道旅行によって行われるわけであります。 思い出しやすいように、「レジュメ」にそれぞれ場所やパウロの同伴者の名前を書いておきましたのでご覧下さい。いつも、この伝道はアンティオキアから送り出され、そしていつも、アンティオキアに戻って行くという、アンティオキア教会の事業であります。 そして21章から28章にわたって、パウロがエルサレム、カイサリア、ローマへと移されながら証をするという、こういうクライマックスに達します。
これで皆さん気付かれたでしょうか。使徒言行録というのは何かキリスト教を伝道していった、伝道の記録のように、イメージしてらっしゃるんじゃないかと思うんですけれども、伝道という点からいうと、高々十何章だけなんです。それに対して、最後のパウロの証というのは 21章から28章まで8章も使って、延々とルカはここを書くわけです。だから、使徒言行録全体の割合でいいますと、このパウロの証というものにルカがかけております熱心というのがどんなに大きいか、ということがお分かりになると思います。 この最後の所は、パウロが異邦人教会の献金を携えてエルサレムという本山でありました所に上ってくるところからなんですが、そこで彼を迎えたのは主の弟ヤコブでありました。で、このヤコブは、“兄弟よ、どうしたものだろう。ユダヤ人クリスチャンの間にあなたの噂が広がって、あなたが律法を破ってもいいんだというようなことを言いふらしている噂が広がっているから、エルサレムにいるユダヤ人のキリスト者たちがどういうふうにあなたを思っているか、心配でならない”。こう言うんですね。それでパウロも、“じゃあ”というので、ナジル人の請願を立替払いしてやるというような妥協を示しまして、そういうユダヤ人キリスト者のいざこざが起こらないようにと配慮するんですけれども、実際にはユダヤ教徒が騒ぎ出しまして、その騒ぎから逮捕されてしまった、という出来事なんです。決してユダヤ人クリスチャンじゃない、ユダヤ教徒のへまな騒ぎから逮捕されたということ。ですからパウロ自身もキリスト教の方も予期しない、はじめ警戒していた所じゃない、全然別な角度から事が起こりまして、気がついたら縛られていた。そういう立場になりましたパウロが、でもその立場をフルに使いまして、エルサレムで演説をし、カイサリアに送られてまた総督の前で演説し、そしてローマに行くんだというのでまた最後の調書を取ってもらうために演説をする長い説教が、何度も何度も記されることになります。 ルカは、このパウロの何回も繰り返します説教を通して、キリスト教というのはイスラエルの先祖に神が約束された約束の希望の実現のために信じて待っている宗教であって、普通なら、このイスラエルの先祖に神が約束された希望というのなら、イスラエル人が食いつくべきものなんです、イスラエル人こそ、ユダヤ人こそこれの継承者であるはずなんですが、そうではなくてユダヤ教よりも異邦人にそれが渡った、そういう宗教である、ということを明らかにしたいわけなんです。 ですから、キリスト教こそイスラエル12部族の、イスラエルの神が約束された希望をしっかり受け止めたイスラエルの宗教のオーソドキシーである、キリスト教こそオーソドキシーである。そして、このオーソドキシーを子孫のイスラエル人はつかまない、だから私たちはそれを異邦人に伝えたんだ、とこういう主張なんですね。 この問題は、最後のローマに上り着いたところでもはっきりと繰り返されます。ローマにユダヤ教徒たちを集めて、また最後の説得をし、そして、またまたこの結びのところで、神の救いは異邦人に行く、とこうパウロは宣言し、「だれかれとなく」「全く自由に」「神の国」と「主イエス・キリスト」を「宣べ伝えた」、こういう結びで閉じるわけです。 ですから、最初の所のエルサレムのエクレーシアが出来、ここで、キリスト教は「神から出ている」ものであるということが、この時点ではペトロの説教を通して論証されているわけです。それと最後のステファノの説教であります。ペトロとステファノによって第一段階のところで、キリスト教は神から出た。しかし、最後のパウロの証のところで繰り返される説教において、なぜ神から出たものをイスラエルが受け取れなかったのか、なぜキリスト教の方に来たのかというそのからくりを、神学的に何度も何度も裁判法廷の弁明の形を取りながら実は論証して行くわけなんです。これは見事な神学論文であります。 ですから、この使徒言行録のはじめの所と最後の所と、これを注意深く読んで下さいますと、このルカの第2巻は新約27巻の中の最も優れた神学書である、とそう言って過言ではないと思います。これほど肉太に、イスラエル12部族の信じた神の宗教がキリスト教において成就し、キリスト教こそそれのオーソドキシーである、ということをきちっと論証した本は他にないんです。 ローマ書というのが有名ですね。ローマ書というのは、信じるならば救われるという点で、それをやった。ユダヤ教のように律法を守るんじゃないんです、信じれば救われます、というその点でユダヤ教よりもキリスト教の方が旧約の精神を受け継いでいます、ということを論証したんです。この一つの問題。だからその点では立派ですよ、深い神学です。けれども全体の中の一つの教理です。信仰義認。 ヘブライ書。ヘブライ書も旧約聖書の祭司や生贄やいろんなことを引きながら、キリストは大祭司でありキリストの十字架は全き生贄である、ということを論証しています。でもそれは、その一点です。本当に今私たちクリスチャンが信じているように、“全体として旧約聖書は新約に成就しました、キリスト教は旧約聖書そのものの成就です”、こういうことが言える神学というのはどこから出たのかというと、実は使徒言行録なんです。私たちが使徒言行録で、何度も何度も、ペトロの説教とステファノの説教とパウロの弁明を読み慣れていますから、いつしか知らずそう思いこんでいる。これで当たり前。そういう目でローマ書を読んだりヘブライ書を読んでいくと、なんかすごい事を言っているなと思うんですけど、逆なんです、実は。 実は、あちらの方が、小さな一つ一つの問題を論証してユダヤ人に勝ったというものなんです。けれども、それを全部総まとめして、あらゆる点から見てイスラエルの12部族に語られた神の約束は我々キリスト教において実現の望みがあるということを、全体として言い切れる神学、これは使徒言行録なんです。 パウロがあっちの預言を引き、こっちの預言を引く。ヘブライ書があちらの雛形やこちらのシンボルを引くという、そんな断片的な議論の仕方とはまるで違います。この使徒言行録でペトロやステファノやパウロが語りますのは、「モーセと預言者たち」という旧約聖書全部なんです。これを扱うんです。 これは本当に、読んでいて感動するほどの語り口です。使徒言行録24章14節「ここで、はっきり申し上げます。私は、彼ら(ユダヤ教徒)が『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に則したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています」。だから聖書という点ではユダヤ人の持っている聖書そのものを我々も信じているんだと、こう言うんです。そして26章に参りましても、6節「今、私がここに立って裁判を受けているのは、神が私たちの先祖にお与えになった約束の実現に、望みをかけているからです」。こう言って、イスラエルと同じ望みを受け継いでいると、こう言うのです。 22節「ところで、私は神からの助けを今日までいただいて、固く立ち、小さな者にも大きな者にも証しをしてきましたが、預言者たちやモーセが必ず起こると語ったこと以外には、何一つ述べてい」ない。それは“メシアがまず苦しみを受け、よみがえるということ”。これこそ、福音書の24章で復活のイエス様がエマオの途上の弟子にこんこんと教えられたことですね。“モーセと預言者から始めて、私について書いてあることは必ず成就する”、この神学です。これを、ルカは第2巻になって、実際にペトロやステファノやパウロの口を使って、具体的に論敵を論破する文章として書き上げるわけです。 ですから、これほどスケールの大きな大きさで、“イスラエルの旧約の宗教が我々キリスト者のものになった、キリスト教というのはこの神から出たんであって、我々がオーソドキシーなんだ。どうしてイスラエルは、ユダヤの人は、この同じ聖書を信じているのにこの福音が分からないんですか”、と言うんですね。実に面白い議論ですよ。 26章のパウロの議論を読んでも、彼はさっき読んだ26章6、7節で、“私たち12部族は夜も昼も熱心に望んできているんだ。そして神が死者を復活させて下さるという、こういう希望を持っている。これはユダヤ人も信じているはずなんです”。でも「王よ、私はこの希望を抱いているために、ユダヤ人から訴えられているのです」とこう言いますね。上手い議論の仕方だと思いませんか。神が死者たちをよみがえらせて下さるという、この共通の希望をイスラエルの12部族の私たちは持っている。共通の書き物です。ところが、その同じ希望を持っているユダヤ人が、死人がよみがえったという私を訴えた。これ、どういうことなんですか。 このようにして、旧約の希望は、イエスはよみがえりたもうたと信じているキリスト教においてだけ実現した。キリスト教だけが旧約聖書の宗教の正統な子孫。このことを見事に論証しているわけです。 その意味で私は、使徒言行録というのは、確かにあちらこちらで非常に正確な情報があって、これは第一級の歴史記録だとかいろんなことを言う人がありますが、私はやっぱり、何よりも神学の弁証の仕方が非常に面白いわけですね。もしこれが新約聖書の27冊の中になくて、あとの26冊でやりたまえと言われたら、大分困るだろうと思うんですね。 そりゃ、ルカ福音書だけでも最後の24章でちらっとありますよ。でも、あそこで言われた程度でぽーんと突き放されて、あとは君たち苦労したまえ、と言われたら、キリスト教の人たちは相当苦労して、一体「モーセと預言者から始めて」旧約全体で、どういうふうにイエス・キリストのことを書いてあると言えるかなあ、と悩んだと思うんです。だから、それを第2巻で、ペトロやステファノやパウロの言葉でずっと裏打ちをしてくれることによって、なるほどこういうふうに議論していくんだなということが分かるわけですね。そういう意味で、このルカの書きました第2巻は、私は新約聖書の中でも飛び抜けて面白い神学の弁証の書物である、とそう思っております。 非常に荒っぽいんですけど、いちいち中身まで入っていくと大変なものですから、まず結論の方を先にきちっと申し上げておきたいと思いました。
実は、さっきから第一の段落の所と何度も申し上げたところ――エルサレムにユダヤ人の信者のエクレーシアが生まれる、その事をとおして、キリスト教こそ神から出たものであるということが明らかにされる――ここのところに、さっきちょっと申しましたルカが持っていた資料として、“ペトロ資料”と申し上げましたものが出て参ります。 ここのところだけ、ちょっと新約聖書の福音書とも違う、書簡とも違う、それから使徒言行録の第2の所からの段階とも違う、独特のものが出て来るんです。たとえば、イエス様をどう呼ぶか。「主よ」と呼ぶか「キリスト」と呼ぶか、これはだいたいみなそうですよね。ところがこの第一段落の所でだけ、「あなたの聖なる僕イエスは」と、こういう言い方で祈っている。神の「僕」、それも「聖者」、「聖なる僕」という言い方を使っています。これは他には出てこない非常に珍しい表現です。 それから「主」という言葉。普通、新約聖書全体になると、もう「主」と言えばイエス様のこととなります。しかし、福音書であれば普通「主」と言えば神様、父なる神様。たまに、ルカ福音書だけはイエス様のことを「主がこう言われた」というふうに直に書く時がたまにありますけれども、まあだいたい福音書を読んでおられて「主」と言えば神様のこと、とこうなるでしょうね。ところが、この1章から7章までの所に「主」という同じ呼び方で、神様を表す場合とイエス様を表す場合と、五分五分に混じって出てきます。こんな所は他に例がありません。新約聖書だったらどっちかです。福音書なら圧倒的に神様、書簡の方ならば、また使徒言行録の後半になれば「主」と言えばもうイエス様。ところが、このエルサレムの所だけは、「主」という言い方はまだ半分半分でしょうか、神様の方が多いかな、そんな感じなんです。まだイエス様のことを「主」と呼ぶよりも、「聖なる僕」イエスと呼ぶ方が通じるという、そういう段階なんです。 そうした様々な用語の独特の点から見まして、やはりここはある出来上った文章、資料文書があって、それに影響されているんじゃないかと、そう考えられる所であります。 あと、細かなことは一回、私なりに分けてみた「レジュメ」に従って使徒言行録を読んでみて下さい。点線で連絡を付けているところがあると思います。ここは、実際に見て下さいますと、そこに、イエスの十字架と復活と昇天という福音の中心のケリグマが、繰り返し繰り返し出てくる所なんです。この点線をたどって下さると、いかに、どの段落も必ずそれが反復されるように、ルカがきちんと福音を丁寧に、一番大事なところをいろんな機会を使って繰り返して、そして最後のパウロの3回にわたる弁明に持ち込む――そういう作戦を立てて「順序正しく」書いているか、ということが読みとれるんじゃないかと思うんです。 その意味でも、この作品は非常に神学的な頭で書き上げられている本だ、というのが私の結論であります。 |