教会の通ってきた道

〜プロテスタント開教から日本基督改革派教会設立へ〜


 

四、結び

 

(一)信条に基づく教会形成の大切さ

「源清く且つ正しき進展を経来れる基督教々理を堅持する教会」

 こうしたことを見て行きますと、日本においてプロテスタント教会の始まりから教会は一つであるということ、これは強い願いでありまして、教会の合同ということを高く評価する動きも事実あります。

 それに対して、私たち日本基督改革派教会の創立宣言は次のようにいっています。

「日本に於ける新教々派の完全合同を目指したる合同運動は、日本基督教団の成立により一応目的を達成せるものとなす者あり。されど今日に至るも尚右の意味に於ける一つ教会たるを得ず。此の全面的不成功は求むるに道をもってせざるに由ると言ふの他無かる可し。」といいまして、あれは失敗だったと言い切りました。教会合同という国家がもたらした実を、教会はこれは理想の実現だと感謝し、日本基督公会の道だと喜んだのですが、その結果信条への情熱も失っていったのです。

 それだけ日本の教会は他のところに建てられた教会以上に国家の動きをよく見張るというと言うことが神様から与えられている課題であり、教会自身がもっていますそのような体質というものを警戒しなければならないということを突きつけられているのではないかと思います。

 私たち日本基督改革派教会はこのようなときに浮き彫りになった教会の弱さ、あるいは罪というものを具体的に悔い改めて告白いたしました。そして一つの見えざる教会を信仰告白と教会政治と善き生活ということによって一つの見える教会として建てていこうということを決意して歩み始めて、建てられたわけであります。

 こうした流れというものがあるわけですけれども、これまでのところを簡単にまとめてみますと、日本基督公会はそもそも万国福音同盟の九箇条を信仰としました。これは大変簡略なものでありますけれども、その項目や構造を見ますとこれは改革派諸信条につながる構成をもっています。また、日本基督一致教会がウエストミンスター信仰告白と小教理問答、ハイデルベルグ信仰問答、ドルト信仰基準を信条として採用しましたが、見て参りましたように、これは非常に不評でした。でも、四つともみんなだめだったわけではないんです。確かにドルト信条とかウエストミンスター信仰告白はほとんど知られていませんでしたが、小教理問答あるいは後から訳されたハイデルベルグ信仰問答は教会の中で用いられてきました。つまり不満が多かったものの、教理問答を通して福音理解というものがなされてきました。

 ですから日本基督教会が前文を付けた使徒信条を採用したときも、実は一気にそう進んだのではなくて、イングランド長老教会の二十四箇条というものがその前段階として候補として上げられました。これはウエストミンスターの要約としても捉えられるものであります。会議の結果これは残念ながらこれは退けられてしまったわけですけれども、このようにウエストミンスター信仰基準、私たち日本基督改革派教会が信仰基準としているものでありますが、これらは確かに日本の約百年の歴史の中で前面に出てくるということはなかったかもしれませんが、ある時には小教理問答による教育がなされ、ある時には信仰告白の要約が学ばれ、ある時にはその影響のある文書が作られたりしまして、日本の教会に関わって参りました。

 今日の私が与えられた時間の中で見て参りました、日本基督公会、日本基督一致教会、日本基督教会と進む流れの中で、ウエストミンスター信仰基準というものは直接間接に教会の形成に関わってきたわけです。ただ、それは日本基督公会や日本基督教会に見られるように、はっきりとそれを採用というのではなくて、むしろ詳細に書かれるということは嫌われましたが、その中身、構造というものは、これは影響を受けていたわけです。そのように歴史の中でいろいろとちらちらと見え隠れしてきたものを、教会の信条として私たち日本基督改革派教会は採用いたしました。

 創立宣言において「源清く且つ正しき進展を経来れる基督教々理を堅持する教会として果敢なる進軍をなし、」とありますけれども、日本基督改革派教会の創立というのは日本のプロテスタント教会の約百年弱の中で見え隠れしてきました源清き基督教教理を教会が堅持してゆくということの表明の創立だったわけです。


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