宗教改革のスピリット
〜カルヴァンとジュネーヴ教会より〜
| 四、私達が学ぶこと
こういうことが今から何百年か前に一人の人物を中心として行われました。私たちはただこういうことを、ああ、昔こんなことがあったなあということを覚えていても、知っていても、それだけではあまり益はないわけでありまして、その時点で神様がなされた御業というものをやはり今の私たちの信仰生活、教会生活との間で考えることがこのようなものを学ぶときの一番のポイントではないかと思うのです。
・信仰生活の訓練 そのことを最後に少しふれておこうと思いました。先ほどジュネーブ教会信仰問答をコピーをしておきました横に、中途半端なところなんですけれども、下に九ページと書いてあり、やはり縦書きのところですが、これは私たち日本基督改革派教会の創立宣言の一部分なんです。その新しい段落のところに「一つ善き生活とは何ぞ」こう始まります。その段落を見て行きますと、その段落の半ばから終わりの方なんですけれども、「宗教改革運動の主潮流たる改革派教会最大の指導者ジョン・カルヴィンの働きしジュネーブの教会が信仰生活の訓練に関して模範的実績を示せしは周知の事実なりとす。」こういうことが書かれていますね。 ここに今日お話ししたことが関わるわけで、それは私たちの信仰生活の訓練に関して模範的な実績がそこにあった、こういわれているわけです。そもそもこの言葉が始まります、一つ善き生活といわれている、善き生活というものは私たちの教会規定という、これは役員が誓約する教会の憲法でありますが、それの第二章、訓練規程で私たちの教会の憲法として明文化されています。訓練というのは戒規とも言われる言葉なんですが、ここは先ほどジュネーブの教会での規律の重んじだということとも関わってきます。 たとえば私たちの教会の憲法でありますウエストミンスター信仰基準に反して教義を主張する、教会規程に示されている教会員としての制約に違反する、というようなことがあった場合に、違反者が本当に神様の前に悔い改めて、神様の恵みに立ち返ることができるよう、そしてその群が清く保たれるように、という目的で戒規がなされます。 カルヴァンが願っていたことを、このようなかたちで私たちの教会も表そうとしていると言っていいのではないかと思うのです。でもここでまず言いたいことは信仰生活の訓練ということでありまして、何も、厳しく戒規をするということが表立って言われていることではありません。実際私たちの教会は戒規規定といわず、あえて訓練規定と言っています。 それは、私たちがキリストによって罪を許され、救われてそれで終わりというのではなくて、キリストの恵みを受けて、キリストに似たものとなって、喜んで信仰生活を歩んでゆく、信仰の訓練を受けてますます成長した神の僕となってゆく、この点を重んじようとしているわけです。 この訓練という中でやはり何と言いましても最も重んじられるのが主の日の礼拝に対する姿勢であります。カルヴァンが一所懸命規律を重んじたり聖餐式を重視したりカテキズムの教育をがんばろうとしたわけなんですが、これは、何でこういうことをしたかというとやはり何と言いましても、主の日の礼拝というものを充実させ、また重視したからなんです。これ無しに聖餐もカテキズムもないわけです。 実は明日の夕方取り上げようとしております、この日本の教会の日本基督公会からずっと流れる、いわゆる長老派、改革派の宣教師の流れをくんだ教会というものは他のところ以上にこの日曜日の、安息日の礼拝を厳守するということを重んじた流れであります。ですからこの礼拝というものを軽んじるということは特に改革派、長老派の流れというものから見たらこれはもう流れからそれたことになるわけです。そうした関わりというものがあるわけであります。
・長老主義政治 また、やはり同じ創立宣言のこのコピーの終わりから四行目のところに「我等は一つの見えざる教会を一つ信仰告白と一つ教会政治と一つ善き生活とによりて」ということを言っておりますが、一つ教会政治として表される長老主義とよく言われることも、実はこのカルヴァンの時代と深いつながりがあります。 二回目のところで見ましたようにカルヴァンは牧師、教師、長老、執事という役職を立てました。ただ牧師と教師につきましては新約聖書エペソの信徒への手紙四章十一節で、ある人を牧者、教師、口語訳聖書ではある人を牧師、教師と、こうなっているんですが、カルヴァンは特に聖書や神学を教える人を教師としたわけでありまして、今日ではここは牧師、教師として一つの職務を二つの面で表しているのではないかと言われています。単に教師といいますと、使徒や伝道者も含めてしまう恐れもありまして、ここでは一定の教会を牧するということとして牧師といわれているんじゃないかと思うのです。ですから今日長老主義をとります教会では、牧師・長老・執事という三職が立てられています。 なぜ私たちの改革派教会がそのようなものを最初に採用しているかといいますと、これはやはり最も聖書的だという確信があるとともに、教理の純正と教会の清潔を守る。このことがあるわけです。 たとえば私たちが会員総会に出たときに役員の選挙というものがあります。教会の役員を選ぶときには必ず会員総会の決議が必要となります。なぜこのようなことをするのかといいますと、これは役員になるというときに、決して本人の自己推薦ではなくて神様の会議を通しての御心の現れ、神様の召しというものを教会の選挙というかたちを通して教会が確認するためです。決して本人の自己推薦で「私が」「私が」というのではなくて、その教会が必要性や賜物を見極めて、選挙というもの、会議というものを通して神様のみ業を見て取る、こうすることによってその教会の清潔を保とうとしているわけであります。 こうしたかたちによって選ばれた役員によって教会の責任ある牧会がなされる中でその教会の教理の純正と教会の清潔を守ろうということをかつてカルヴァンはめざし、また私たちの教会もそれに倣おうとしているわけです。 ですからこのようなところを考えてみますと、私たちの教会を見渡したときに会員総会の中で役員の選挙というものは非常に重んじられている、あるいは教理問答、信仰問答というものが礼拝や、あるいはいろいろな集会の中で用いられるという事柄などは決して私たちの教会が、何か思いつきでやったということではありません。かつて信仰のあかしを一所懸命なそう、神様の栄光を現そうとした人やあるいは教会がその信仰の戦いの中で神様からいただいてきたことを、また私たちの教会でもその神様の恵みを戴いてゆく、そのために行われているものと言ったらいいんではないでしょうか。 あらためて言うまでもありませんが、御言葉によって教会が建つわけですけれども、その御言葉によって教会が建つと言うことは、これはもうキリスト教会であればどこでも必ず強調されるところであります。そのことを一層具体的に私たちが身につけ、また私たちが神様の栄光を表すために今申し上げたことがかつてジュネーブの教会でなされ、その流れというものが私たちの教会に活かされていると言っていいんではないかと思うのです。ですから皆さんが教会生活をする中で、身の回りにある事柄というものがかつての先輩たちの非常に大きな信仰の戦いによって築かれたものであり、それを私達はしっかりと受け継いでいきたいと思います。そして、更に次の世代へと語り伝えていきたいものです。 |